【世界遺産】百舌鳥・古市古墳群とは?5分でわかる歴史と魅力

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世界が認めた大阪の宝、その歴史的価値と登録までの軌跡

大阪平野に点在する巨大な古代遺跡群、百舌鳥・古市古墳群。2019年にユネスコ世界文化遺産に登録されたニュースは、日本中、とりわけ地元である大阪府民に大きな歓喜をもたらしました。しかし、なぜこの古墳群が世界的に重要視されたのか、その本質的な理由を正確に語れる人は多くないかもしれません。ここでは、4世紀後半から5世紀後半にかけて築造されたこの遺跡群が持つ「顕著な普遍的価値」について、改めて紐解いていきます。登録に至るまでの長い道のりと、そこに込められた先人たちの想いを知ることで、実際に現地を訪れた時の感動は何倍にも膨れ上がるはずです。

なぜ「百舌鳥」と「古市」なのか?2つのエリアが持つ意味

百舌鳥・古市古墳群は、その名の通り2つのエリアから構成されています。堺市内に広がる「百舌鳥エリア」と、羽曳野市・藤井寺市にまたがる「古市エリア」です。これらは地理的には約10キロメートルほど離れていますが、一体の文化的価値を持つものとしてセットで扱われています。 この2つのエリアは、当時のヤマト王権の中枢を担った大王たちの墓域でした。百舌鳥エリアは大阪湾からの玄関口に位置し、海からやってくる海外の使節団に対して、その巨大な姿を見せつけることで王権の威信を示す役割があったと考えられています。一方、古市エリアは内陸の交通の要衝に位置し、河内平野を見下ろす台地の上に築かれています。 なぜ2つの場所に分かれたのかについては諸説ありますが、当時の政治的な勢力図の変化や、土木工事に適した地形の選定などが関係していると言われています。いずれにせよ、これら2つのエリアに残る49基の構成資産は、古代日本の国家形成期における政治的・社会的な構造を物理的に証明する類稀な証拠なのです。

巨大前方後円墳の建築技術と古代日本の権力構造

この古墳群の最大の特徴は、日本独自の墳墓形式である「前方後円墳」が数多く、しかも巨大なスケールで集中している点にあります。中でも、百舌鳥エリアにある仁徳天皇陵古墳(大山古墳)は、墳丘長486メートルという世界最大級の規模を誇ります。エジプトのクフ王のピラミッド、中国の始皇帝陵と並び、世界三大墳墓の一つに数えられるこの巨大建造物は、当時の土木技術の結晶と言えるでしょう。 これほど巨大な構造物を築くためには、高度な測量技術と計画性、そして延べ数百万人に及ぶ労働力が必要でした。重機のない時代に、土を掘り、運び、突き固めるという作業を繰り返して築かれたその姿は、被葬者である大王の権力がどれほど絶大であったかを雄弁に物語っています。また、古墳の表面は葺石(ふきいし)で覆われ、数千、数万の埴輪(はにわ)が並べられていました。これらは単なる装飾ではなく、聖域を区画し、邪悪なものから守るための宗教的な装置としての機能も果たしていたのです。

ユネスコ世界遺産登録がもたらした地域への影響

2019年の世界遺産登録は、ゴールではなく新たなスタートでした。登録決定の瞬間、パブリックビューイング会場が歓声に包まれたことは記憶に新しいですが、それ以降、地域の意識は大きく変化しています。 まず、観光客の増加に伴い、受け入れ態勢の整備が急速に進みました。主要な古墳の近くにはガイダンス施設や展望スポットが設置され、これまで「ただの森」だと思っていた場所が、歴史を学ぶためのフィールドミュージアムへと変貌を遂げたのです。また、地元住民の間にも「自分たちの街には世界の宝がある」という誇り、いわゆるシビックプライドが醸成されました。 一方で、観光公害(オーバーツーリズム)への懸念や、静謐な環境をどのように守っていくかという課題も浮き彫りになっています。世界遺産という称号は、地域社会に対して「保護と活用」のバランスを常に問いかけてくるのです。

地図で読み解く主要古墳の配置と見どころのポイント

百舌鳥・古市古墳群を巡る際、漫然と歩くだけではその真価を理解することは難しいでしょう。地上から見ると、巨大すぎて単なる森や丘にしか見えないことが多いからです。しかし、地図を片手に、あるいは上空からの視点を想像しながら主要な古墳の配置を読み解くと、そこに隠された意図が見えてきます。ここでは、絶対に外せない主要な古墳と、その見学ポイントについて解説します。配置の妙を知ることは、古代人の景観デザインを追体験することに他なりません。

仁徳天皇陵古墳(大山古墳)を最大限に楽しむための拝所ガイド

百舌鳥エリアのシンボルであり、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳。三重の濠(ほり)に囲まれたこの古墳は、宮内庁が管理しているため内部への立ち入りはできません。しかし、そのスケール感を体感できるスポットはいくつか存在します。 最もポピュラーなのが、正面にある拝所です。整然と整備された鳥居越しに見る鬱蒼とした森は、厳かな空気を漂わせています。しかし、本当のおすすめは、堺市役所高層館の21階にある展望ロビーからの眺めです。地上80メートルの高さから見下ろすことで、はじめてその巨大な「鍵穴」の輪郭を捉えることができます。周囲の市街地の中にぽっかりと浮かぶ緑の島のような姿は、現代都市と古代遺跡が共存する堺ならではの絶景です。 また、古墳の周囲には約2.8キロメートルの周遊路が整備されています。一周歩くことで、その大きさを足で実感するのも良いでしょう。季節によっては、濠の水面に映る木々の緑や、水鳥たちが遊ぶ姿を楽しむこともできます。

航空写真でしか分からない「鍵穴」の形状と謎

前方後円墳独特の「鍵穴」のような形。これは一体何を意味しているのでしょうか。円形の部分は死者を埋葬する場所、方形(台形)の部分は祭祀を行うための祭壇だったという説が有力です。しかし、なぜこれほどまでに幾何学的に整った形をしているのか、その起源については未だ多くの謎が残されています。 百舌鳥・古市古墳群の面白さは、この鍵穴の向きにもあります。多くの巨大古墳は、その長軸が特定の方向を向くように設計されているという研究結果もあります。例えば、太陽の昇る方向や、特定の山並みを意識した配置になっているなど、古代人の宇宙観や信仰心が設計に反映されている可能性があるのです。 現代の私たちは、ドローンや衛星写真を使って簡単にその全貌を見ることができますが、当時の人々は地上から見上げるしかありませんでした。それにも関わらず、これほど正確な形状を維持して築造できた背景には、現代の測量技術にも通じる高度な知識があったことは間違いありません。

周囲に点在する陪塚(ばいちょう)の役割と歴史的景観

巨大な古墳の周囲には、小さな古墳がいくつも寄り添うように配置されています。これらを「陪塚(ばいちょう)」と呼びます。陪塚は、大王の近親者や臣下を埋葬した墓であるとも、あるいは主君のために武具や財宝を納めた倉庫のような役割を果たしたとも言われています。 例えば、仁徳天皇陵古墳の周囲には、十数基の陪塚が現存しています。これらは都市開発の中で削り取られたり、破壊されたりすることなく、親亀を守る子亀のように現代まで残ってきました。これらの陪塚を含めて一体の景観として捉えることが重要です。 大型古墳だけでなく、こうした陪塚一つ一つにも丁寧な調査が行われており、そこから出土した埴輪や副葬品が、当時の生活様式や対外交流の実態を知る貴重な手掛かりとなっています。散策の際は、巨大古墳だけでなく、その足元にある小さな古墳にも目を向けてみてください。そこには、歴史の脇役たちの静かな物語が眠っています。

未来へ継承すべき遺産としての保存活動と私たちができること

世界遺産登録は、人類共通の遺産として未来永劫守り抜くという国際的な誓約でもあります。しかし、都市のど真ん中に位置する百舌鳥・古市古墳群の保存は、決して容易なことではありません。風雨による浸食、植物の繁茂による墳丘の変形、そして開発圧力。様々な脅威からこの遺産を守るために、行政や専門家、そして地域住民がどのような努力を続けているのか。そして、一人の訪問者として私たちができる貢献とは何かについて考えます。

都市化の中で古代遺跡を守り抜くことの難しさ

百舌鳥・古市古墳群の最大の特徴は、住宅街と隣接している点です。家の窓を開ければ目の前に古墳の森がある、そんな生活がここでは日常です。これは世界的に見ても稀有な環境ですが、同時に保存管理を難しくしている要因でもあります。 例えば、濠の水質保全の問題があります。生活排水の流入を防ぎ、美しい水辺環境を維持するためには、莫大なコストと労力がかかります。また、古墳を覆う樹木の管理も重要です。木が育ちすぎると根が墳丘を崩す恐れがあり、かといって伐採しすぎると景観が変わってしまう。適切な間引きや剪定を行い、古代の姿と自然環境のバランスを保つ作業は、専門的な知見を要する繊細なプロジェクトです。 さらに、私有地となっている古墳の公有化も進められています。開発によって失われるリスクをゼロにするため、自治体が少しずつ土地を買い上げ、整備を進めています。こうした地道な活動の積み重ねの上に、今の美しい景観が成り立っていることを忘れてはなりません。

次世代に語り継ぐための教育と観光のバランス

遺産を守るためには、物理的な保存だけでなく、その価値を次世代に伝える精神的な継承が不可欠です。地元の小学校では、古墳について学ぶ授業や、清掃活動などが盛んに行われています。子供の頃から歴史に触れ、愛着を持つことが、将来の守り手を育てることにつながるからです。 一方で、観光客である私たちには「レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)」が求められます。立ち入り禁止区域に入らない、ゴミを持ち帰る、近隣住民の静穏を乱さないといった基本的なマナーを守ることはもちろん、現地のガイドツアーに参加したり、博物館を訪れて歴史を深く学んだりすることも、間接的な保存活動になります。 単なる物見遊山ではなく、歴史への敬意を持って訪れること。そして、その体験を周囲に伝え、関心の輪を広げていくこと。それが、1600年の時を超えて受け継がれてきたバトンを、次の世代へと繋ぐために私たちが果たせる役割なのです。歴史遺産は、過去のものであると同時に、現在を生きる私たちの鏡でもあります。その静かな佇まいから何を感じ取るか、大人の感性が試されています。

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